統計による意見操作

今日(2/15)の日経新聞朝刊社会面42ページに、文科省が出した面白い統計があったのでご紹介しよう。


「子供がいじめられたのを助けたという大人は42%、いじめを助けてもらったと感じる子供は19%、大人はもっと子供達に積極的に関与しないと子供は助けられたと感じない。」というものであった。


これは無作為に選んだ子供3,000人とその保護者2,900人に対して行われたものだが、統計の使い方として非常に面白い。上記の結論、つまり、大人の関与の強弱の問題というためには、大人が助けた子供の分布と、助けられた子供の分布が確率的に均一でなければならない。もっとわかりやすく説明しよう。例えば、10人の大人と10人の子供がいるとしよう。10人の大人が子供を助けたといえば、その確率は100%、そして強弱の問題というためには、助けられたのは10人の子供全員(助けられた確率100%、ただし、助けられたと感じたのはその中の1〜2人)でなければならない。しかし、「いじめ」が問題視される世の中を見ればわかる通り、いじめられる子供は均一ではなく、10人の中の1〜2人に偏る。つまり、10人の大人はその1〜2人をいろんな機会に助けるが、助けられると感じるのは10人の子供の中のいじめられた1〜2人しかいないことになる。


そのことを理解した上で、上記の統計を見れば、大人の関与の強弱の話で帰結はできないということは容易に推察できる。同じ記事にこういう話もあった。「良いことをしたら誉めている大人53%、誉められているという子供46%で大人が抵抗なくできる行為は子供との意識の差が小さかった。」


私の上記の説明を読んだ人にはわかると思うが、誉められる行為は、いじめより確率的に均一なので、差がないことは容易に推察でき、程度や意識の差の問題ではないことがわかるだろう。


確率的均一性などという難しい言葉を使わなくても、実際の教育の現場を見ていれば、この統計の質問の不備や、帰結の乱暴さは容易に理解できるはずだが、教育の現場を統括する文科省がそういう現場を理解せず、机上で統計を見て帰結を論ずるのを見ると教育の現場にもっと違う空気が必要な気がしてならないのは私だけだろうか。