日本のあるべき姿

日本の強さは何であろう?日本人の勤勉さ、優秀さであろうか?高度経済成長時には、そんなこともいわれただろう。果たして本当にそうか?中国が共産主義ではなく資本主義であったなら、今の日本は本当にあったのだろうか?結局、日本が今の地位を築いたのは米国をはじめとする資本主義社会が日本を防波堤として支援し、朝鮮戦争ベトナム戦争が日本の復興を後押ししたためではないだろうか?確かに当時の日本人は勤勉で優秀であっただろう。しかし、それは中国人と比較して本当に強みといえるようなものであったのだろうか。人は自分自身の強みを必ずしも正確には知らないものだ。日本の強さは国民の勤勉さと優秀さだったのだろうか?アジアの地域戦争という神風と、国として重厚長大にフォーカスを決めた国策による部分が大きいのではないだろうか。


さて、過去をそう振り返ったところで、今の日本は何を考えるべきだろうか?先進国の物質は飽和に達し、コモディティによる成長は難しいであろう。かといって、日本は自給自足ができるほど豊かではなく、「何か」を必ず輸出しなければ食っていくことさえままならなくなるだろう。日本は先端技術を輸出し生活の糧を得、多くの国民はサービス産業で経済を回す。汎用品の生産はアジアの経済成長エリアにシフトし、日本の生産拠点としての地位は中国へ移す。これを実現するためには、できるだけ多くの優秀な人材を教育するシステムが重要で、「ゆとり教育」なんていうのはナンセンスだ。技術開発にこそ、国費を割くべきでインフラにこれ以上冗費を使うべきではない。


しかし、これだけではつまらない。日本のあるべき姿は経済だけで規定されるものではなく、思想・感性としてどうありたいか規定すべきだ。魅力のある日本という国を育てるためには、「魅力」を定義すべきだ。「フレンドリー、義・正義、互助」そういうキーワードを視点にして、われわれの生活の姿を変えていきたい。


世界というコミュニティーの一人として、あるべき姿へ一歩近づきたいものだ。