中国のデモ

大手商社の役員の方と会食する機会があり、その際、中国のデモの話題になった。役員は中国が一方的に悪いという論調であったが、私は若干意見を異にしていた。もちろん、中国政府がデモを容認し(あるいは扇動し?)、デモ参加者が日本企業や日本の商品を持つ中国人を傷つけたのは許されないことだが、そもそもこの事件はなぜ起こるのかを考えなければ解決は見えない。


中国は共産党政府であり、これまでの共産主義経済によって国民は貧しく虐げられた。そして今度は資本主義の導入によって貧富の差が拡大、国民から失政の批判を浴びてもおかしくない。そういうケース多くの場合、統治者(政府)は内憂外患を演出し、国民の鬱積した不満のエネルギーを外に向けようとする。中国は政府の教育によって、第二次世界大戦の日本の行動を国民に伝えており、この時、馬鹿な政府(日本)が、中国の内憂外患の対象となるような行動を取れば、容易に排斥行為などを引き起こしてしまう。賢明な政府(日本)であれば、内憂外患の対象とならないように行動することが求められ、そうであれば、中国の内憂外患の対象はインドかパキスタンに向かってもおかしくはない。


日本は、中国政府が中国国民に日本の戦時中の行動を教育しているのであれば、日本は中国国民に、戦後の中国への支援(OECD)、戦争の総括を日本でも教育することなどをプロパンガンダしていくことが必要であった。ただ、お金を出すだけでは意味は伝わらないし、戦争のことを教科書記述から落とせばそれもおかしな話なのである。中国が日本の非を中国国民に教育しているのであれば、日本は中国国民に非を認め謝罪したことを宣伝しなければいつでも内憂外患の対象となるだろう。


なぜ、日本はそこまで中国国民に気を使わなければならないのか?それは、この国が巨大であり、日本に近く、しかも、共産党一党独裁という非民主主義国家であるためで、些細な行き違いが大きな反目を生み出す可能性が大きいためである。考えてもみて欲しい。ユーゴスラビアや、イスラエルとアラブの紛争など隣人同士が争うのはなぜか?身内が殺された記憶が次の殺人(戦争)を呼ぶからである。日本と中国は第二次世界大戦終結で戦争は終わっているが、その記憶を伝える教育をしている中国国民との間には紛争が起こる可能性は高いのである。


情報がうまく伝わっていない、中国のデモ参加者をデモ行為によって非難することは易しい。しかし、情報が正しく伝わらなければ正しい判断ができないのは当たり前である。いやな思いをしたくないのであれば、情報を正しく伝える努力をすべきだし、醜い心の中を見透かされないような行動を取るべきなのである。


蓋し、人の頭の中は行動によってしか理解されないのだから。