SE(システムエンジニア)と営業の対立

対等の2つの立場があるとき、コンフリクトが生じやすい。例えば、営業が顧客サイドの意向に基づく意見を出し、SEがシステム設計上のプロセスからの意見を出し合うようなケース。具体的には、こんな場合。


営業:「お客の要求は、A社のサーバーとB社のソフトを使って、社内LANを構築して欲しいということだ。」
SE:「A社のサーバーとB社のソフトは親和性に乏しく、うまく稼動しない。運用にものすごいコストがかかることになる。A社のサーバーとC社のソフトであれば、無理がないことが実証済みだ。お客を説得してよりいいものを提供すべきだ。」
営業:「お客のニーズはA社とB社の製品を使ってLANを動かすことであって、運用は当社が請け負うかどうかもわからない。言われたとおりのものを作ればいい。」


確かに、お客のいうことはその通りだが、その後、運用も引き受けることになって運用コストを自社に転嫁させられた経験をもつ人もいるだろう。


この時、どちらの言い分が通るかについては、声の大きい方、社内的序列の高い方、社内的パワーの大きい方(そりゃお前、お客あってのうちだろう!とか、できないものをつくれというのか俺は魔法使いじゃないとか)だったりする。


自分が正しいと思っているとき、相手も自分が正しいと思っている。はなっから、自分は間違っているんだけど困らせてやれ〜と考えながら、あなたと違うことをいうことはあんまりない(もしそのケースが多かったら、マネジメントより普段の人づきあいを見直した方がよいでしょう)。


ということは、「盗人にも三分の理」、相手の屁理屈(自分が正しいとすればだが)を屈服させなければ、自分の主張を通すことはできない。相手もバックにはお客がいるかもしれない(あなたがSEならば)、あるいは、もしかしたらSE軍団が控えているかもしれない(あなたが営業ならば)。相手があなたのことを尊敬している、あるいはあなたが上位者であれば比較的簡単だろう。こんこんと理詰めに話をすれば、あなたが正しいことをいっている限り説得が成立するはずだ。これは相手が冷静にあなたのいうことを聞く耳を持ち、あなたがやはり正しいことを言っている限りにおいてきちんと作用する。


問題は、相手があなたを尊敬していない場合や、自分の方が下位者である場合には困難が付きまとう。この場合、そもそも相手はあなたの言うことに対して聞く耳を持たないことが多く、たとえあなたが正しいことを言っても、プライドや世間体、バックにいるものに対する見栄などから、容易に受け入れることができないだろう。理屈で負けさせれば負けさせるほど意固地になるもので始末に負えない。相手の振り上げた拳を「理屈」をもって説得し、おろさせるのは並大抵ではないだろう。


ではどうしたらいいのだろうか。


最初から理屈のがちんこ勝負をするところが間違っている。最初にやるべきは、相手に「聞く耳」を持たせるところから始めるべきだ。相手のいうことを受け止める。同意をする。相手の意見に敬意を払う。そこから始めるべきでだ。振り上げた拳を下ろさせせることが難しいのであれば、そもそも振り上げないようにさせることを考えよう。


営業:「お客の要求は、A社のサーバーとB社のソフトを使って、社内LANを構築して欲しいということだ。」
SE:「お客はA社とB社と取引があって、営業協力したいんですね。」
営業:「その通り。」
SE:「難しい仕事ですが、LANの構築ぐらいだったらできるでしょう。」
営業:「ありがたい。よろしく頼むよ。」
SE:「わかりました。でも営業サイドはシステム設計より、もっとうまみのある運用は取りに行かないのですか。」
営業:「もちろん取りに行くよ。だからこそお客のいうことを聞いて設計し、心証を善くしておきたいんだ。」
SE:「なるほど。しかもA社サーバーとB社のソフトでは障害が多発する恐れがありますから、かなり高額の運用フィーが取れるということですね。うまいこと考えますね。」
営業:「障害?多発?高額の運用フィー?」
SE:「A社サーバーとB社のソフトの親和性が低いのは業界の常識ですし、つなぐことはできてもすぐ故障が生じます。これはこっちではどうしようもありません。運用のコストは通常の2〜3倍はかかるから、余程高いフィーをとらないと大赤字を抱えることになります。」
営業:「そんなに高くは取れない。」
SE:「せめてソフトをC社にしてもらえれば、かなりましになりますが。」


この後、このわざとらしい会話で、営業がお客にB社からC社に変えるよう動いたかどうかは定かではないが、営業を相手にして、SEが最初に相手を受け入れることで、相手との距離を近づけようとしていることはわかる。SEは相手に対して逆接語を一切使わず、柔道のように相手の押す力を利用する、つまり「肯定」をうまく使うことで、相手との間を縮めようとしているのだ。


しかし、冒頭の話からするとかなり回りくどい。反目しあう人と人がひとつになるプロセスは時間がかかるものであり、反目に要した時間が長いほど、相手を受け入れ相手から受け入れられるのに時間がかかるものなのである。蓋し、人をマネージするということは、論理性だけでなく、根気と時間が必要なのである。